世の中すべては自己責任

こんにちは、朝からブログ、つらいですディルです。

さて、今日はひさびさに文字ブログ

〜 自己責任 〜

について話していこうと思います。

さて、どのくらいの人が賛同できるかな?

なお、内容はディルの独断と偏見なものであり、DMなどで個人的な意見を言われても対応しません。(たまにいるんよ捨て垢でDMしてくるやつ)

社会学から見た、自己責任論と、ディルの見解はまったくの別物です。

興味があれば、勉強してみると面白いかもしれません。

んじゃあ〜

さ、行こうか!

すべては自己責任

すべては自己責任だと思っています。

自分はそれを徹底的に教え込まれ、周りにも教え、

それでいて結果を残してこれたと思っています。最終的には自分が未熟がゆえで

巧くいかなかった事もありますが、

今の自分を構成する上で、大きな指針になった事は間違いありません。

まず初めに、自己責任論とはなにかというと

貧困は裕福になるための努力や選択を怠った結果であ
り、したがって、責任は本人にある

ざっくり言うとこれです。

勿論、環境は人それぞれ違います。でも世の中、弱い者の基準で動かないのです。

例えば、生まれついて足がなかったとしよう。

その人はどうしても早く走りたい。でも足がない。走れない。

これはもう今の医学ではどうしようもないです。

残る選択肢は、あきらめるか、代替案を模索するか。

義足でなら走れるのか?

いくらかかるのか?

体への負担は?

まてよ?果たして俺は本当に走りたいのか?

足がないことへのコンプレックスじゃないのか?

でも思いっきり走ってみたい

こんな思いをする人を減らしたい

よし、医学を勉強して後世になにか残せる研究をしよう

色んな考えがあると思います。

でもどうでしょう、この架空の方のように、

俺は足がない=俺は走れない

こうはならなかったでしょう?

これも腐る事なく、今のおかれた状況下で、何ができるかを諦めずに模索した結果です。

これも自己責任論を前提においた思考だからたどり着く答えだと思います。

自己責任というと、

大衆

なんだよ!すべて自分の責任、責任ってネガティブにとらえろってことかよ!!

いいえ、そうは言っていません。

今回、例にだした架空の人物のようになってしまったら、絶望もするし、生きる希望もなくなるかもしれません。

そして、勿論のことながら、同情(あまりこの言葉は好きではない)もします。

自分がこのあと事故で、同じ事になったとき、同情してくれよ!ってきっと思うと思いますし、

先天性の人に向かって、

あ〜それも自己責任っすね。

なんて言いませんし、まず思いません。

いいですか、

自己責任論は否定されることが多いですが、

これを推奨している人達の大半の人は

自分に向けてへの自己責任

なんです。

相手にそれを当てはめて物事を判断してはいけません。

周りから人がいなくなります。

本当に信頼があったうえで、くすぶっている人がいたら、嫌われる覚悟でつたえてみるのはいいかもしれません。

ですが、基本的にこれは、

自分に向けて押し付ける理論

である事を忘れてはいけないと思います。

大衆

おいおい、その理論とさっきの足がない人の思考、どう自己責任論とつながるんだよ!

もし、先程の架空の方が

「俺が足ないのは親のせい!うちの血筋が悪いんだ!DNAが悪い

こうなってしまったら、もうそこで話は終わりです。

この辺りは各自の話なので、そう思うのもまた一興でしょう。

ですが、この架空の人に疑問をぶつけるとしたら

足を切断になった原因は?病気なら、その病気には気付けなかった?糖尿?食べ物考えてた?暴飲暴食してなかった?

事故?その事故は完全に不可抗力だった?道路側歩いてなかった?信号無視してなかった?

これはあくまで架空の話ですし、ましてや体に関して思うことは通常ありません。

ですが、自分が本人になった場合は、この自己責任論をあてはめていくことで、

次なる一手、次の一歩が踏み出せると思ってます。

世間では受け入れられていない自己責任論

格差社会における自己責任論は妥当か否か

この問いに関して

妥当ではない

が、スタンダードな考えです。

良く言われるのが、

生活保護受給者の中には、働けるのに働かない人が多い。生活保護を受給するに至る経緯には働
きたくても働けない場合、生育環境や運も含めに、本人の努力によるものだけではない。

これが言われます。簡単にいっちゃうと、自己責任論で片付けてしまうと、

生活保護をもらっている人たちが堕落している人(本当に貰うに値する人かどうか等の、比率は考えないものとする)

になってしまうではないか。

ということだ。

だけど、これに関しても自己責任論は突破できると思っている。

なぜか。それは

生活保護を貰うに値しない人も、値する人も、等しく自己責任の上で受給している(できている)からである

たいしゅう

どういう事だよ!不正受給は良しって事かよ!!!

ルールにのっとれば、犯罪ですし、良い理由にはなりません。

ですが、

不正受給をしている人も、不正受給を犯す事によるリスクをおっている。

これも自己責任である

そして、その不正受給が気に食わないのならば

政治家なりなんなり、法律を変えられる立場の人間に貴方がなってください。そして変えてください。

僕も自分の税金でノウノウとしてるのムカつきますよ。でも

僕には今の世の中を変えられるだけの力なんてありません

だから我慢するんです

コレも自己責任です

じゃあ貴方、今の会社に対する、世の中に対する不平不満、

ストライキでもおこしたらどうですか?

テロリスト的な過激なことでもしたらどうですか?

やらないでしょう?

インターネットで文句いうぐらいが関の山でしょ?

僕もです、仲間ですね!

今っていうのは、過去の選択の積み重ねなんです

今は力があるのもないのも、はたまた健康なのも不健康なのも、お金があるのもないのも、全部過去の自分がしてきた小さな選択

の積み重ねなんです。

小さな選択、自己責任の積み重ねなんです。

今が満足いっていないなら、自分を恨みましょう。

その方が、道が開けます

ここで凄く心に響く言葉をご紹介

世の中に不満があるなら自分を変えろ。

それが嫌なら、耳と目を閉じ、口を噤んで孤独に暮らせ

〜攻殻機動隊〜草薙素子

そうなんです。自分が変わるのが一番てっとり早く、それでいて一番確実性があり、唯一の事なんです。

これは本当に思います。自分が変わることを、なんらかの理由で拒否するならば、お前はだまっていろ。って事。

You play with the cards you’re dealt …whatever that means.

snoopy

スヌーピーの言葉

直訳すると

配られたカードで勝負するしかない。それがどういう理由、意味であっても。

これもまさに現状をなげくことなく、受け入れ、

持てる手札でどう闘う事ができるか。

受け入れたうえで次に向かう。

周りに文句をいっても仕方ない。

まとめ

つまり、簡単にいうと

  • 次に進む為にも自己責任論をうけいれる
  • 相手を自己責任論で判断するのではなく、自分にあてはめる
  • 今は過去の積み重ね

です。

合ってるかどうかはわかりません。

ですが、現段階では間違えてないんじゃないかなって自分は思ってます。

ディルのきもチィ

ふう。たまには真面目に長いの書かないとね

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